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弔辞 恩師 菊地臣一先生へ 2022年2月2日、菊地先生が奥様とお二人のお嬢様に見守られ、ご生涯を閉じられました。75歳で、まだこれからというときに誠に慚愧に堪えません。既に月命日は過ぎましたが、私は未だに先生が亡くなったことを受け入れられずにいます。ご遺族のご心中はいかばかりかと拝察いたします。 菊地先生は福島県石川町のご出身です。1971年に福島県立医科大学をご卒業後、同年に福島県立医大の整形外科教室の一員となりました。当時、福島県立医大の助教授だった蓮江光男先生から脊椎外科を学びました。1977年にはカナダのトロント大学に留学しI. Macnab先生から脊椎外科医に必要な理念を学び、神経根障害の病態を共同研究しました。そして坐骨神経痛と称される痛みは単一神経根由来であることをISSLS(国際腰椎学会)で発表しました。ご帰国後、1980年から日赤医療センターの副部長として、部長の蓮江光男先生と共に腰部脊柱管狭窄の臨床分類や選択的除圧術の開発を行いました。私は1985年に日赤医療センターで菊地先生と初めてお会いしました。菊地先生から「来年、南会津の県立田島病院へ赴任するかもしれない。その時は一緒に働きましょう」と言われました。半信半疑でしたが、1986年の7月から菊地先生は県立田島病院の病院長となり、私も10月から県立田島病院へ異動し、それ以来、36年間、ご指導を賜りました。 1990年には福島県立医科大学整形外科教授にご就任されました。菊地先生が当時、教室員へ宛てていた「学長からの手紙」の中に、当時の教室の様子がよく描かれています。教授在任中、ヨーテボリ大学整形外科(Prof. Bjorn Rydevik, Prof. Kjell Olmarker)とカリフォルニア大学サンヂエゴ校(Prof. Robert Myers)と共同研究を行い、私を含む15人の留学生を輩出しました。2000年にISSLS, The Volvo Award、2003年にISSLS The ISSLS Prizeを受賞しました。2005年から2006年までISSLSのPresidentとなり、ISSLSの発展に大きく貢献し、2019年にはLife time achievement awardを受賞しました。2007年から2012年まで日本脊椎脊髄病学会の理事長を務め、多大な業績を残されました。 2008年から2017年まで福島県立医科大学の理事長兼学長となり、大学の発展に大きく貢献しました。2011年の東日本大震災時には、地震、津波、放射能汚染という人類が経験したことがない複合災害に対し、学長としてリーダーシップを大いに発揮しました。国や地方自治体と即連携し、長崎大学と広島大学と協定を結び、福島の医療体制を強固に確立し、医療従事者間の情報の共有化を図りました。2011年には放射線医学県民健康管理センターを設立しました。2016年には県立ふたば復興診療所とふくしま国際医療科学センターを設立しました。福島県知事をはじめ、県庁との人材交流を積極的に推進することにより、地域医療の発展に大きく貢献しました。 菊地先生がお亡くなりになる2か月ほど前に、「我が人生に悔いなし」とおっしゃっていました。様々な苦難と立ち向かい苦悩の連続だったかもしれませんが、先生は多くの宝物を我々弟子たちに授けてくれました。不屈の精神、妥協しない努力、そして愚直なる継続です。先生からいただきました多大なご恩に対し、深く感謝をし、教室で薫陶を受けた弟子の一人として哀悼の誠を捧げます。安らかにお休みください。
令和4年3月9日 福島県立医科大学整形外科教授 紺野慎一